柿の葉寿司の由来や歴史、食べ方、
ゐざさのこだわりについて

塩鯖を運ぶ漁師のイラスト

柿の葉寿司の由来

その昔、熊野と吉野・橿原をつなぐ東熊野街道は「さば街道」とも呼ばれ、流通の要でありました。熊野灘で水揚げされ、浜塩を施した鯖は、背負い籠に詰められ、高い峰を越え、谷川の難所をわたって村々に運ばれました。

お祭りのごちそう柿の葉寿司のイラスト

これをこの地の人々は、薄く切ってご飯の上に乗せ、手近に豊富にあった山柿の葉に包んで重石をかけ、熟成させてお寿司に仕上げ、祭礼の日のご馳走としました。柿の葉寿司には山里の食の知恵と工夫が凝縮されているのです。

柿の葉寿司の歴史

 すっかり奈良県の名物として、全国的に知られるようになった柿の葉寿司ですが、奈良全域ではなく、主に吉野地方を中心につくられていました。なぜ、海のない奈良県、それも高い山の谷筋や盆地の村に塩鯖を使った柿の葉寿司が発達したのでしょう。

東熊野街道と柿の葉寿司

 柿の葉寿司はもともと、東熊野街道沿いの吉野郡の各地で伝統的につくられていた郷土料理の一つですが、実は奈良県だけではなく、紀伊半島の山間部にも産地が点在しています。柿の葉寿司の誕生にはこの東熊野街道が大きく関わっています。

東熊野街道図

 江戸時代ともなると、熊野灘で獲れた鯖は、しっかり浜塩をして、いろんなルートで遠隔地にも運ばれていました。 東熊野街道沿いの村には、人が背中に塩鯖を負い、名だたる山道や谷の難所を越えて運ばれますが、伯母峰峠を越えた川上村まで、二日程度で運ばれたそうです。浜塩というのは、大量の塩を魚の腹に詰めこみ、魚が傷むのを遅らせる保存法ですが、この地域についたころには、ちょうどいい加減の塩鯖ができていたというわけです。柿の葉寿司は、今でも奈良県吉野郡の、上北山村、川上村、東吉野村、吉野町などで広く作られています。

柿の葉寿司のはじまり

 柿の葉寿司のはじまりは、酢をつかわずに発酵させて酸味をつくる<生なれずし>でした。浜塩をした鯖を薄くそぎ、ご飯を大きく握ったものを抱かせ、どこの家にも植えられていた渋柿の初夏の青々とした葉で包む。1枚の葉では包みきれない場合は、葉を2枚で包むこともありました。それを四角い木の寿司桶に隙間なく入れ、重石をおき、1ヶ月ほど熟成させると酸味が生まれ、すしができたというわけです。

家庭での柿の葉寿司作りイラスト

 柿の葉に含まれるタンニンには、抗菌作用や防腐作用、蛋白質を凝固させる性質もあって、サバの身を締めてくれます。また柿の葉の香りは魚の臭みを消す作用をするなど、さまざまな効用があり、先人の知恵に感心させられます。山里にあっては、白いご飯も鯖も貴重なもの、ハレの日の贅沢なご馳走でした。

柿の葉寿司・柿の葉の収穫イラスト

 しかし、現代的な嗜好でいうと、ちょっとしょっぱいおすしだったかもしれません。作るのに時間も手間もかかり、祭りの日から逆算して漬け込まなくてはなりませんし、その年の気候によっては、微妙に調節が必要でした。どの家にも代々のノウハウや言い伝えなどがあったことでしょう。いつのころからか、次第にごはんに酢を使った簡便なものになっていきましたが、「ついこの間まで、酢はつかわなかった」という話は聞いても、それがいつの時期のことかは不明です。その言葉自体が言い伝えのひとつかもしれません。

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郷土料理から、今日の柿の葉寿司へ

 昭和に入った頃から、奈良県吉野郡の村々では夏祭りや秋祭りにそなえて、どの家庭でも柿の葉寿司をしこみ、互いの味を賞味しあったものでしたが、すでにごはんにも鯖にも、酢をつかったものが普通だったと思われます。発酵させる必要はなくなっても、柿の葉寿司専用の木桶にいれて重石を置き、一晩ほど寝かせるなどして、味の調和をはかりました。

木桶入りの柿の葉寿司イメージ写真

 保存食としての需要が薄れ、グルメ・名産品としての柿の葉寿司の専門店も誕生しました。それに伴い、塩分を少なくし、独自の工夫で美味しさを追求した風味になり、魚も鯖だけではなく、鮭や鯛をつかったものなどバラエティに富むようになりました。大きさも、昔各家庭でつくっていたものにくらべ、一口サイズの小さく洗練されたものが今風です。

祭礼の日のごちそう柿の葉寿司イメージ写真

 そうした現代に即した変遷を経て、柿の葉寿司は駅弁大会などのイベントや百貨店でのお取り扱いによって広く日本全国で知っていただけるようになりました。

柿の葉寿司の食べ方・楽しみ方

 奈良県吉野地方の名産グルメ柿の葉寿司。母から子へと伝えられてきた伝統の柿の葉寿司をより美味しく、もっと深く味わっていただくために、基本的な食べ方・保存方法から食べるシーンや歴史など色々な観点からの楽しみ方をお伝えします。

柿の葉寿司の美味しい食べ方・保存方法

 柿の葉をひろげ、葉を持ち、寿司をお召し上がりください。柿の葉の香りがふわりと広がります。本来、しょうゆをつけずに食すのが伝統的な食べ方です。

柿の葉寿司の食べ方

※柿の葉をはがしてお召し上がりください。まれに柿の葉に、白い物質が見られることがありますが、食品に由来する成分(たんぱく質・糖類)で品質には問題ありません。安心してお召し上がりください。

 保存の際は高温多湿を避け、お早めにお召し上がりください。ゐざさの定番の柿の葉寿司は基本的にお届け日の翌日までお召し上がりいただけます。

常温18℃~20℃前後がシャリがおいしい適温です。室温が高い場合は冷えすぎないよう新聞紙で包んで冷蔵庫の野菜室などでの保管し、食べる前には常温に戻すのがおすすめです。配送や保管中に冷えすぎてご飯が硬くなってしまった場合は、電子レンジ等で温めるとシャリがほぐれて風味が増します。

贈り物・お取り寄せに

 奈良県吉野地方で生まれた柿の葉寿司は古来、ハレの日の贅沢なごちそうでした。一つ一つ柿の葉で包まれたお寿司は美味しさ長持ちで、皆様でつまみやすくお祝い事の席に最適です。 柿の葉寿司は押しをかけて熟成させることで旨みが増します。お届けの前日にお作りして配送中に熟成し、届いた頃には食べごろです。

贈り物に柿の葉寿司

焼き柿の葉寿司

 ゐざさのふるさと 奈良 吉野 では、寒い冬になると柿の葉寿司を軽く焼いて食べる習慣があります。 柿の葉の香ばしい香りと温かくふっくらとした寿司飯、焼けたさばやさけの風味で一味違った味わいになります。身も心もほっこり温まる”焼き柿の葉寿司”をぜひ一度お試しください。

焼き柿の葉寿司

柿の葉で包んだままオーブントースターやホットプレートで2、3分ほど軽く焼いてください。柿の葉の表面が少し焦げてきたら食べごろです。※焼きすぎるとすし飯やネタが焦げ付きますのでご注意ください。

ゐざさの柿の葉寿司のこだわり

 大正10年に米屋として創業したゐざさ自慢の寿司シャリと伝統の製法で作られる柿の葉寿司。そのこだわりと商品の特徴をご覧ください。

奈良・吉野 おふくろの味

 ゐざさのふるさとは、奥吉野・大台ケ原のふもとです。お祭りやお客さまへのもてなし料理として柿の葉寿司が作られていた大正時代、当時「中谷商店」として米屋を営んでいた「ゐざさ」中谷本舗創業者、中谷勘市郎の妻キクエの味が評判となり、秘伝の味は二代目、中谷宏の妻カツエに受け継がれました。

秘伝の合わせ酢と出汁

柿の葉寿司は、吉野や奥吉野に住む人々にとって、母から受け継ぐ大切なふるさとの味。ゐざさの柿の葉寿司も代々受け継がれたその味が原点にあります。 伝統的な保存食としての塩辛い味付けを現代に即した寿司飯の味に変え、お米の一粒一粒がふっくらとしていながらしっかりとした押し加減。鯖の風味・柿の葉の香りと調和するちょっと甘めの味付け…これらはゐざさがこだわり、開発してきたおいしさの秘密です。

厳選された国産米

 ゐざさの前身、中谷商店は大正10年に米屋として創業しました。初代勘市郎の米へのこだわりは強いものがありました。その妻・キクエの炊くふっくらとしたご飯は評判で、お祭りなどで近所の人にもふるまったお寿司は、特別うまいと言われていました。現在も米屋として培った目利きを生かし、甘み・ツヤ・粘りなどにこだわった、厳選された国産米を独自にブレンドして使用しています。

厳選された国産米

お寿司には適度に水分がぬけて粘りの出過ぎない古米が適しています。現在ゐざさの寿司シャリには秋田県産のあきたこまちと宮城県産のササニシキをブレンドして使用しています。※2023年10月24日現在

秘伝の合わせ酢と出汁

 上方では「すしの飯に六分の旨さがある」というように、酢に塩、砂糖、昆布、みりんを用いて“はんなり”した味を追求してきた歴史があります。柿の葉寿司はその甘めのシャリが塩辛いネタと合わさり、熟成することで旨みが増します。炊飯の過程で秘伝の出汁を加え、秘伝の合わせ酢で調味したゐざさのシャリは他では真似の出来ない味の深みを生み出しています。

秘伝の合わせ酢と出汁