1921年(大正10年) 米屋で創業
林業が盛栄を極め、奈良県吉野地方がかつてないほどの脚光を浴びた大正時代。上北山村はその中心となって県内外から働き手が集まり、宝石店、カフェ、映画館などの施設も増え続けました。それに着目した初代・中谷勘市郎はゐざさ中谷本舗の前身、中谷商店を創業。地域で唯一の米穀販売権を手に、隣村の川上村柏木より伯母峰峠を越えて行商に出ました。
ページトップ画像・動画は映画「昭和3年の記録」(上北山村教育委員会所蔵)より
米穀販売の傍ら、勘市郎の妻キクエの作る寿司が評判を呼び、郷土料理として親しまれていた柿の葉寿司を商品化。昭和初期に上北山村河合に店舗を構え、米・米飯に加え、魚・肉・野菜などの生鮮品、燃料や酒類まで販売するようになります。
郷土の名産品の開発「ゐざさ寿司」命名
1961年上北山村に大台ケ原ドライブウェイが開通。創業者から事業を受け継いだ二代目・中谷宏はドライブウェイの中ほどに「経ヶ峰茶屋」作り、大台ケ原の名物としてその地に多く自生していた笹の葉で包んだお寿司を考案します。
中谷宏の妻、カツエの実兄が文化財を管理・保護する職に就いていたご縁で、その後 東大寺管長を務めた 清水公照師を茶屋にお招きする機会に恵まれました。これがきっかけで、名物の笹寿司を大台ケ原に伝わる笹をまとった伝説の大猪「ゐざさ王」 にちなんで、「ゐざさ寿司」と命名いただき、屋号といたしました。
清水公照師画像:姫路市書写の里・美術工芸館 提供
名産寿司の担い手として
1965年 寿司製造部門を立ち上げ、上北山村に工場を設立。柿の葉寿司、ゐざさ寿司に続き、奥吉野という土地柄をイメージした桜寿司や山菜巻、さんま姿鮨など現在もいざさの詰合せの礎となるお寿司を続々と商品化。名産寿司の製造・販売業として成長していきました。
柿の葉寿司を全国区に
郷土で培った味をもっと多くのお客様にお届けしたい。この思いを胸に、1980年 田原本町に工場及び店舗を竣工し、奈良県北部に進出。通信販売もこの頃から開始しました。1986年に屋号を「ゐざさ」、商号を「株式会社中谷本舗」として法人化しました。
1994年 奈良市に支店・店舗を構えるとともに関東にも進出。百貨店への出店や駅弁大会を通じて柿の葉寿司の名を全国に広めていきました。
2002年 渋谷駅におにぎりの店を出店。「笹八」のブランドで米屋から始まったノウハウを生かし、おにぎりやお弁当など美味しい米飯の提供にも力を注ぎます。
受け継がれる思い
2004年に3代目・中谷昌紀が社長に就任。「奥吉野の食文化を古都奈良から全国に」を基本理念に据え、首都圏への出店・販売も加速。奈良・東大寺隣の「夢風ひろば」には、奈良の食文化の発信地として、柿の葉寿司などの郷土食を提供するレストランも誕生しました。
そして2015年、最新鋭の設備を整えた田原本新工場が唐古・鍵遺跡の隣接地に出来上がります。奈良県HACCP自主衛生管理認証制度(通称:ならハサップ)も取得し、これまで以上に「安心・安全」な商品をご提供できるよう、衛生管理を徹底した製造に日々努めています。
創業から100年を経た「ゐざさ中谷本舗」のこれから
ゐざさ中谷本舗は2021年、創業100周年を迎えることができました。これもひとえに当社のお寿司を愛し、ともに歩んでくださったお客様あってのこと。むかしも、いまも、これからも「郷土の味」をみなさまに。郷土の誇りを抱きながら、歩み続けます。